日が長いって嬉しい。冬、真っ暗の中のお迎えの心細さに比べて、家に帰ってなお空が明るい今の季節が、とてもありがたいものに思えてくる。
 「好きな季節って選べないな。だってどれも素敵だもん!」と、ある種優等生な答えを用意してきた私だが、最近、どう考えても日が長いこの時期が最強な気がしてきた。暖かいからすぐに起きられるし。ちなみに母は、「夏至を過ぎると気分が下降線に入り、冬至を過ぎれば上昇傾向」と前々から言っていて、何を大げさなと思っていたが、その気持ちも最近分かる。

 そんなわけで、娘と家に帰ってきても、みんなまだ犬の散歩や農作業の仕上げの時間。大きい道を入った、上り坂に家々が連なるこの集落の配置が、私は好きだ。
 「お、犬が散歩している」と娘に告げると、「触るのー」とトコトコ坂を降りだした。動物好きな娘の勢いに、大概の犬は逃げる。ダックスフンドは短い足で一生懸命坂を逃げたが、そこにいた集落のおじいちゃんに止められて「ほら、触れるよ」と娘に差し出された。犬の飼い主のおばちゃんは、「初物のさくらんぼ、持ってきてあげるね」と家に戻り、大好きなさくらんぼをゲットした娘は、外に出ている集落の人に「見て、さくらんぼ」と自慢して歩いていた。軽トラで通りかかった農作業中のおじいさんも車を止めて、娘に話しかける。
 今日は、隣のおばあちゃんが、摘果したりんごをおままごと用にたくさんくださった。数日前は、「帰ってきたのねー」と駆け寄ってきておばあちゃんに、孫のおさがりの、かわいい手作りのポシェットをいただいた。
 ちなみに登場人物はそれぞれ個性的で、ちょっぴり怖かったりもするのだが、娘を解すととたんになにかが溶ける。
 私1人だったら、やっぱりこうはいかないのである。娘は我が集落唯一の幼児。ぞんぶんにちやほやされる日々は続く。

 今日の午前中は、私は休み休み草刈りを。娘は落ちた梅を並べたり、カラスノエンドウの実を一生懸命出したり、おやつにラムネを食べたりを、丸石神の上で(神様だけど、こういう使い方ならたぶん怒らない神様だと思う)。「かか、がんばれー」と、「歌うたってー」の掛け声を交互に叫びながら。

  2年半前、生まれてくる予定の子とセットで思い描いて、ぴったりのロケーションだと直感した情景を、いま描けている気がする。
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